独り言です。(長文になってしまいました。)
1995年1月17日5時46分、淡路島北部沖を震源とした「阪神・淡路大震災」が発生しました。
早いものであれから16年経ったのですね。 その頃、私は東京で仕事をしてました。
1月17日、いつものように朝起きてテレビをつけると、臨時ニュースで「兵庫県の淡路島で地震」のニュースが文字で流れていました。? 気になったので7時30分頃西宮の実家に電話をかけてみると・・・電話がかからない。 「あれ?」と思ったがいつもどおり出勤の準備をしました。
テレビでは再三、臨時ニュースが流れます。 「淡路島でけが人がでた」と。 出勤前に再度実家に電話をかけるがかからない。 こんな時は公衆電話の方が優先してかかるような話を思い出し、すぐ外に出て何回も公衆電話から実家に電話。 しかし、かからない。 どうしようもないので10時頃会社に到着。
会社に神戸の先輩がいたので様子を尋ねると先輩は朝一番で実家と連絡がとれ、神戸で大きな地震があったけど友人の実家はとりあえず大丈夫との話を聞いた。
その話を聞き、少し安心して遅刻した分お昼休みも一生懸命仕事をしていると、昼休みにテレビを見ていた友人に呼ばれテレビをみると・・・阪神高速道路がなぎ倒しになっていて、実家があった「門戸厄神」駅の近くの国道171号線の高架がくずれているのを見て「頭真っ白」に・・・どう見ても「非常事態」であることがわかり、上司とお客さんに「実家に帰ります」と告げて、会社をでました。
いまでも覚えているのは、会社を出て羽田空港に急いで向かいましたが、「非常事態」は私だけ、周りはいつも通り「普通」なんですね。 近くの旅行社で「伊丹空港行き」のチケットを取り、15時頃に空港に到着。着いたとたん、空港のテレビは「地震のニュース」ばっかりなんです。? それも、テレビでは亡くなった方の名前を公表しているではないですか。 まさか自分がこういうシチュエーションで見るとは思ってなかったです。 さすがに見られませんでした。 時間が来たので飛行機に乗り、夕方「伊丹空港」につきました。
伊丹空港も少し被害があったみたいですが、特に大変な状況ではなく、皆普通の日常でした。 しかし、空港を出ると、空気は一変しました。阪急電車は止まっており、神戸方面行きのタクシーにならぼうとすると「超、長蛇の列」なんです。 というか、神戸行きにはタクシーが止まってないのです。 大阪、京都方面行きのタクシーはいっぱいあるのに。
タクシーの運ちゃんに聞くと、「地震があって危ないから行かない」との事でした。 1時間、2時間と時間が経ち、神戸方面行きに並んでいる人も数百人に膨らんでました。
もう、どうすることもできません。とりあえず家族の安否が気になっていましたので、公衆電話の「長蛇の列」にならび、今度は実家だけではなく、親戚などにも電話をかけました。 実家にはかかりませんでしたが、たまたま近くの親戚に電話がかかり話を聞くと、自分の家も半壊だと、そして私の実家は全壊で家族は近くの老人ホームに非難していると・・・それを聞き安心してしゃがみこみ泣いてしました。
帰らないといけません。 先ほどの親戚の方に「行くところがなかったら、来てもいいよ」といわれたので、まず帰る方向が同じ人を3人探して、そこから一台一台タクシーに交渉です。 0時頃にやっと西宮にいってくださる運転者さんを見つけおねがいしました。
しかし、タクシーから車窓を見ても「別に」って感じなんですね。 深夜に普通にタクシー乗ってるって感じです。電気もついているし、お店も営業している・・・ しかし、「武庫川」にさしかかると、神戸方面が「真っ暗」なんです。 本当に真っ暗なんです。 そこからは先は一緒に乗っていた人との悲鳴といいましょうか、「あっ」「うぉー」「えー」? タクシーのヘッドライトで映されるいろいろな物が「普通じゃない」です。 家は土になっているし、電信柱はポキポキ折れているし・・・後半は皆、言葉がなかってです。
一人、一人、お家の近くで降りていき、最後に私は親戚に家の近所でおろしてもらいました。? 親戚の家の近くに行くと、「おっさん」が親戚の家の前で「立ちション」を・・・ なんて失礼なやつだと思ったら、親戚の叔父さんでした。 後でわかったことですが、親戚はほとんど全壊に近く、トイレに入れない状態でした。? とりあえず、親戚に家に危ないからということで土足で上げてもらい、2時頃にカップラーメンをご馳走になりながら、朝まで「悲しい」ニュースを見てました。 一晩中余震でびびってましたね。
朝、家族が非難している場所を聞き、急いで家族に会いました。 多少の怪我はありましたが、全員無事でした。 その後、実家を見に行きと、実家は斜めに向いてました。 たまたまラッキーにも隣が新築だったので倒潰せず建っていて、実家がもたれかかっていたのです。
私の知り合いも怪我をされた方が沢山いました。
? 「自然災害」と一言では片付けられません。
こんな事が二度とないように・・・